皆さんこんにちはルリアゲハです。
ヨーロッパ社会を大きく変えたと言われますが、いったいどんな変化があったのでしょうか。
わからないという方も大丈夫です。
この記事を読めば
理解できること
- なぜ大航海時代は始まったのか
- なぜ大航海時代はポルトガルとスペインで始まったのか
- インドへの航路
- 新大陸の発見
- 大航海時代の影響
について理解できます。
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目次
大航海時代って何
大航海時代というのは15~16世紀にかけて行われました。
大航海時代は遠洋を航海し、新しい航路を見つける時代です。
ちなみに、ほぼ同時代のヨーロッパでルネサンスと宗教改革が起こっていました。
すなわち、
大航海時代はルネサンスや宗教改革と同時に起こった
と覚えておきましょう。
ルネサンスや宗教改革について詳しく知りたい人は
がおすすめです。
大航海時代はレコンキスタで出来たばかりのポルトガルとスペインを中心に行われました。
始まった理由
大航海時代はなぜ始まったのでしょうか。
主な理由は
- 地中海を通さずに香辛料を手に入れるため
- キリスト教(カトリック)を布教するため
- 羅針盤が改良されたから
の三つですよ。
それでは一つ一つ見ていきましょう。
地中海を通さずに香辛料を手に入れる
大航海時代の目的の一つは地中海を通さずに香辛料を手にいれることです。
香辛料は肉をおいしく長期保存できる優れものでした。
大航海時代の前はアジアの香辛料は、イスラームを経由した地中海貿易で手に入れていました。
しかし、アナトリア半島にオスマン帝国が台頭すると、地中海はオスマン帝国が支配するようになります。オスマン帝国は儲けるために香辛料の値段を上げました。
それでも香辛料を求めるヨーロッパの人はたくさんいました。
そういうこともあって、直接アジアから船で香辛料を手に入れようと、新航路を開拓します。
キリスト教を布教
二つ目の理由はキリスト教(カトリック)をヨーロッパの外へ布教するためです。
大航海時代の頃は教皇の権威が下がったり、教会の堕落などでカトリックはピンチでした。同時代には宗教改革も起こりますね。
ピンチを脱するため、カトリックの国ポルトガルやスペインはアジアや新大陸へ布教しに行きます。
日本にも戦国時代にザビエルなどのたくさんの宣教師が来ますよね。
日本の戦国時代とヨーロッパの大航海時代は同時期でした。
そういう理由で、戦国時代の日本には布教のため多くの宣教師が訪れたのですね。
羅針盤が改良された
三つ目の理由は羅針盤の改良です。
羅針盤というのは陸の見えない大海原でも方位を示してくれる道具です。
羅針盤は中国で生まれ、イスラーム世界を通じてヨーロッパへ伝わります。
ほぼ同時に起こったルネサンスで改良され、遠洋航海が可能になりました。
なぜポルトガルとスペインが中心となった?
なぜ大航海時代は、ポルトガルとスペインが中心となったのでしょうか。
他にもヨーロッパにはたくさんの国がありますよね。
答えは単に地理的に大西洋への航海がしやすいだけではなく、どちらの国も中央集権的だったからです。
中央集権国家だと何が良いかというと、船を出すための資金を集めやすかったことです。
船を出すためには莫大な資金が必要でした。
具体的に言うと、造船費や長い航海に必要な食糧費、多くの乗組員を雇う費用などですね。
国としてまとまっていれば、国の事業として行えたので資金調達が比較的簡単でした。
また、ポルトガルとスペインはイスラームからイベリア半島を取り返すレコンキスタで成立しました。
レコンキスタでは土地を取り返すために戦う必要があります。
なので、イスラームとの闘いに勝つために国は王を中心に一致団結していきました。
そういった背景からポルトガルとスペインは他のヨーロッパの国よりも先に中央集権化か進みました。
これらの理由からポルトガルとスペインがどんどん新航路を発見していきます。
インドへの航路そして世界一周
ポルトガルがインドへ
香辛料が集まるインド方面へ先に行ったのはポルトガルです。
エンリケ→バルトロメウ=ディアス→ヴァスコ=ダ=ガマ
とバトンを繋ぐようにインドへの航路を開拓します。
最初のエンリケはポルトガルの王子です。航海活動を積極的に支援したので「航海王子」と呼ばれています。
しかし、本人は船酔いが酷かったので船にはほとんど乗らなかったそうです。
彼の送った艦隊はアフリカ西岸まで到達しました。
その次のバルトロメウ=ディアスはアフリカ大陸南端に到達します。この場所はポルトガル王ジョアン2世によって喜望峰と名付けられます。
ちなみに、喜望峰は「峰」と名前に付いているのに山ではありません。
どちらかというと岬ですよね。
ジョアン2世はこの場所を「Cape of Good Hope」(希望の岬)と付けました。
なのに日本語で喜望峰と呼ぶのは少し不思議ですね。
そしてついにヴァスコ=ダ=ガマがインド東回り航路を開拓しました。
ヴァスコ=ダ=ガマはインドのカリカットに上陸し、少量ですが香辛料をヨーロッパに持って帰ります。
マゼランの世界一周
史上初の世界一周を達成したのはマゼランです。
スペイン王のカルロス1世が彼を援助します。
カルロス1世は神聖ローマ帝国の皇帝も兼任しており、神聖ローマではカール5世でした。
カルロス1世(カール5世)については
という記事で詳しく解説しています。
マゼラン一行は
大西洋→南アメリカ大陸の南端(現在のマゼラン海峡)→太平洋→インド洋
というルートで世界一周を成し遂げます。
しかし、マゼラン本人はフィリピンで戦死してしまいます。
最終的にスペインに帰ってきたのは、マゼランの部下でした。
新大陸へ
ついに、現在は南北アメリカ大陸と呼ばれている新大陸にヨーロッパ人がたどり着きます。
最初に新大陸にたどり着いたのはスペインから援助を受けたコロンブスでした。
コロンブスが到達した後は、スペインが中心となってアメリカ大陸の探検をします。
コロンブス
初めて新大陸に到達したのは、イタリア出身の航海士コロンブスです。
当時のイタリアはルネサンス真っ只中で、最新の学問や芸術が集結していました。
という方には
がおすすめです。
ルネサンス真っただ中に生きたコロンブスはトスカネリの地球球体説に感銘を受けます。
と疑問に思ったかもしれません。
簡単に言うと
「地球は平らではない。球体だ!」
という説です。
当時はまだ誰も世界一周してなかったので、本当に地球が球体なのかは分かりませんでした。
コロンブスはこの地球球体説を基にして
「もし地球が球体ならば、大西洋をずっと西に行くとインドに行ける!」
と考えました。
コロンブスはこのアイデアを、スペイン女王イサベルにプレゼンしにいきます。
スペイン女王イサベルはレコンキスタの時に登場しましたよ。
コロンブスの申し出は、航路開拓でポルトガルに先を越されていたスペインにとって絶好のチャンスでした。なので、スペインはコロンブスに資金を出すことにします。
スペインを出発したコロンブス一行は70日かけてバハマ諸島のサンサルバドル島に到達しました。
サンサルバドル島はカリブ海に浮かぶ島で、現在の西インド諸島にあります。
どう考えても”インド”ではないですね。
コロンブスはこの後3回新大陸に行きますが、最後まで新大陸を”インド”と誤認しました。
アメリカ大陸の探検
コロンブスの後、カブラルやアメリゴ=ヴェスプッチがアメリカ大陸の探検をします。
ポルトガルのカブラルはヨーロッパ人で初めて現在のブラジルに到達しました。
ちなみに、ブラジルでは今もポルトガル語が話されていますよね。
しかし、周辺の国では他の言語です。
と疑問に思ったかもしれません。
でも、最初にブラジルを発見したのがポルトガル人だったと知ったら納得ですね。
その後、アメリゴ=ヴェスプッチはコロンブスが行った場所は新大陸だったと確認します。
征服
大航海時代はヨーロッパにとっては輝かしい歴史でしたが、先住民たちにとっては暗黒の時代でした。
具体的にはヨーロッパ人に征服されたことですね。
例えば南北アメリカ大陸には独自の文明がありました。南北アメリカにあった文明を詳しく知りたい方は
がおすすめです。
しかし、ヨーロッパ人が来ると、
- 文明の滅亡
- 先過酷な労働を強いられる
- 征服活動や感染症による人口の激減
などの苦難が先住民たちに訪れます。
征服は主にスペインの征服者(コンキスタドール)によって行われました。
コンキスタドールのコルテスはアステカ王国を、ピサロはインカ帝国を滅ぼします。
なぜこんなことをしたかというとスペインにはエンコミエンダ制があったからです。
エンコミエンダ制は
という制度です。
しかし実際にはポトシ銀山などの銀山や農園で先住民を酷使します。
その結果、先住民の人口が激減します。
トルデシリャス条約
トルデシリャス条約はスペインとポルトガルが結んだ地球を分譲する条約です。
南北アメリカ大陸はスペインの領土で、ブラジルとアジアはポルトガルの領土にしてよいというものでした。
大航海時代の結果
ヨーロッパから起こった大航海時代は多くの影響を世界中に与えました。
主な影響は
- 価格革命
- 商業革命
- 世界中に銀が大量に出回る
- 農場領主制が拡大する
という感じです。
これらの変化によって、中世の社会から近代の社会へ移り変わっていきます。
価格革命や商業革命、農場領主制はパッと見て分かりづらいので少し解説しますね。
価格革命
価格革命は、新大陸から大量に銀がもたらされたことにより、ヨーロッパで物価の高騰が起こったことです。
流れを説明すると
銀が大量に出回る→銀の価値が下がる→物価上昇
です。
その結果、定額で土地代を集め続けた領主層が没落し、中世の体制が終わりを迎えます。
商業革命
商業革命は貿易の規模が世界中に広がった現象です。
人々が狭いヨーロッパから飛び出した結果、広い世界中で貿易をするようになりました。
もう一つ価格革命が起こしたのは、貿易の中心の変化です。
中世ヨーロッパでは、地中海貿易やバルト海での貿易が中心でした。
周辺の諸都市では商業が発達します。
しかし、大航海時代を迎えると貿易の中心は大西洋沿岸の地域になりました。
農場領主制
もう一つの変化は東ヨーロッパでの農場領主制(グーツヘルシャフト)の拡大です。
農場領主制は領主が農奴に農業をさせるシステムです。
西ヨーロッパでは農場領主制が衰退しましたが、東ヨーロッパでは拡大していきます。
その結果、西では商業をして、東では農作物を作るという分業体制が発達します。
西ヨーロッパの人は、自分たちの食料はお金で買えるようになっていったのです。
これが資本主義経済の元となって行きます。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は大航海時代について解説しました。
内容をまとめると
- 大航海時代=ヨーロッパ人たちが新しい航路を開拓した時代
- 大航海時代には香辛料を安価で購入するため、カトリックの海外布教をする、羅針盤が改良されたという三つの背景があった
- 大航海時代はインド航路に力を入れたポルトガル、南北アメリカに力を入れたスペインが主導
- 大航海時代の結果、ヨーロッパでは価格革命と商業革命、東西の分業体制が成り立った
- 一方、南北アメリカでは文明が破壊され、先住民はヨーロッパから搾取された→人口激減
という感じです。
大航海時代は中世から近代に移り変わっていく大事な流れの一つですよ。なので同時期に起こったルネサンスと宗教改革と一緒に押さえましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。