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世界史の南北戦争をわかりやすく【テストで90点台を連発する私が解説】

南北戦争 アイキャッチ

皆さんこんにちはルリアゲハです。

あなたは今

アンバー
世界史の南北戦争ってよく分からない…教科書とか授業の説明だとどういうことか全然わからないなあ…このままだとテストや受験が心配…

と悩んでいませんか。

確かにアメリカを二分した戦争 南北戦争は南部や北部の事情を覚えるのが大変ですし、全体の流れなんて頭に入りませんよね。

大丈夫ですよ。

この記事を読めば

この記事で分かること

  • 南北戦争ってそもそもどんな戦争だったのか?
  • なぜ起こった?
  • アメリカ北部と南部の抱えていた事情 貿易や奴隷制について
  • ミズーリ協定やカンザス・ネブラスカ法
  • 南北戦争の経過と転換点のリンカンの奴隷解放宣言(人民の人民による人民のための政治)
  • 戦争の結果南部の奴隷は解放されたか?

についてわかります。

 

私は現役の高校生で、世界史の定期テストでも80点台、90点台を取り続けています

しかし、学習法を工夫する前は、60点から70点前半をウロウロしていました。

だからこそ、私がこの記事でする解説は世界史が苦手な人でも分かるということを徹底しています。

 

なので、この記事はあなたの役に立つでしょう。

また、この記事は以下に一つでも当てはまる人におすすめですよ。

こんな方におすすめ

  • 世界史が苦手な人
  • 定期テストで80点・90店を狙いたい人
  • 勉強が超苦手な人
  • 今の世界史の授業が楽しくない人
  • 受験で良い点を取りたい人

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南北戦争とは?

アンバー
南北戦争ってそもそも一体何だったっけ?

という人もいるでしょう。

 

南北戦争を一言で表すと

1861年から1865年にかけてアメリカで起こったアメリカ南部(アメリカ連合国)アメリカ北部(アメリカ合衆国)が争った戦争

です。

 

どっちが勝ったかは現在のアメリカの国名を思い出せば想像できるはずです。

もちろん勝ったのは北部のアメリカ合衆国ですね。

 

ちなみに現在のアメリカの正式な国名はアメリカ合衆国ですよ。

なぜ戦争は起こった? 理由:南部と北部の利害が一致しなかったから

しかし

ジェード
何で南北戦争は起こったの?南部と北部の利害の不一致ってどういうこと?

と疑問に思っているでしょう。

 

一言で説明すると、

南部と北部は主要な産業やどのようなアメリカを望んでいるかも真逆だったから

です。

揉める原因1 理想のアメリカ像が真逆なアメリカ北部&南部

表で北部と南部の違いをまとめると以下のようになりますよ。

北部南部
支持政党共和党民主党
経済商工業プランテーション(大農場)
貿易政策保護貿易自由貿易
奴隷制度反対賛成

 

ジェード
え、全部丸暗記!?めんどくさい…

と思ったかもしれません。

 

しかし、ちょっと待って下さい。

丸暗記せずに、「なぜそうなるか?」という因果関係で覚えたほうが忘れにくいですよ。

繋がり

具体的には以下のような感じです。

 

メモ

アメリカ北部

北部は商品を作って売る商工業が主流だった。

だから、外国から安い製品が入って来にくい保護貿易を望んでいた。さらに、奴隷ではなくきちんと教育を受けた労働者を雇いたい。

だから、自然と保護貿易や奴隷制反対を掲げる共和党を支持した。

 

メモ

アメリカ南部

南部は奴隷を働かせて大農場で作物を作るプランテーションが主流だった。

だから、何の制限もなくたくさんの作物を輸出できる自由貿易が理想。

学のない奴隷をこき使えば、農作物の原価を抑えられたので、奴隷制継続を要求。自然と自由貿易や奴隷制継続を掲げる民主党を支持した。

 

こうすれば、なぜ?というのが分かるので、闇雲に暗記するよりは楽ですよ。

 

しかし、南部と北部の望むアメリカのあり方って正反対ですよね。

アメリカ全体を動かす中央政府は一つしかありません。

こうなれば、お互いに対立するのは自然ですよね。

揉める原因2 西部の新しい州で奴隷制を採用するか?

しかし、

さらに、アメリカ国内で揉める原因がありました。

それが新しくできた州で奴隷制を採用するか否かという問題です。

 

当時アメリカは西部の開拓をしていて、西側にたくさんの州が新しくできましたね。

西部の開拓

そうすると、新しくできた州で奴隷制を採用するか否かで揉めます

 

何で揉めるかというと、

奴隷制を採用する州が増える=南部の味方が増える

奴隷制不採用の州が増える=北部の味方が増える

からですよね。

 

だから、北部と南部はどっちが味方を増やせるかで対立します。

 

そんな対立に妥協点を見つけるためにミズーリ協定が結ばれました。

「北緯36度30分より北は奴隷制不採用、それより南は奴隷制採用する」

という内容ですよ。

これで一応は揉めないようになりました。

 

しかし、双方が妥協したミズーリ協定は破棄され、なかったことになります。

 

新しくできたのはカンザス・ネブラスカ法です。

州の住民の投票によって奴隷制を採用するかを決めることとなりました。

やるかやらないかの選択肢

そうなると、再び北部と南部の対立は深まりました。

戦争の火種が爆発!共和党のリンカンが大統領就任

ついに南部と北部の対立が戦争に発展します

。そのきっかけが共和党のリンカン大統領就任です。

共和党というのは奴隷制反対で保護貿易を求める北部よりの政党ですよ。

 

となると、

私はアメリカを奴隷制のない平等な社会にします!

と宣言しますよね。

 

もちろん奴隷制がなくなったら困る南部の人達は怒ります。

南部13州は

奴隷制廃止?冗談じゃない!こうなったらアメリカを抜けて新しい国を作ってやる!

という風にアメリカを抜け、新しくアメリカ連合国を作りました。

 

もちろん国を作ったのですから

首都:リッチモンド

大統領:ジェファソン・デヴィス

と制定します。

 

アメリカが2つの国に分かれた結果、武力衝突が起き南北戦争は始まりました。

南北戦争開始!経過はどんな感じ?

奴隷制拡大と貿易のあり方で揉めていた北部と南部。

その結果、北部のアメリカ合衆国と南部のアメリカ連合国に分裂し、南北戦争は始まりました。

立ち上がって社会を変えていく人

戦争は最初は南部のアメリカ連合国の方が勝っていましたよ。

 

なぜなら、優秀な指揮官がいたからですね。

やっぱり優秀な指揮官が指揮する軍隊は強いですよね。そのようにして、北部は追い詰められていきます。

 

だから、アメリカ合衆国の大統領リンカンはホームステッド法によって、西部の味方を増やそうとします。

 

アンバー
ホームステッド法って一体何?

と疑問に思っているでしょう。

 

ホームステッド法というのは

国が持っている土地(公有地)に住んで、一定期間耕作してくれたら、その土地は君のものになるよ。

という法律ですね。

当時アメリカは西部の開拓をしていました。公有地というのは西部にあったのです。

 

アメリカの西部に移住して土地を耕せば、念願の自分の土地が手に入る!

と考えた人々は西部に移住して開拓をします。

その結果、ホームステッド法の恩恵を受けた西部に住む人々はリンカンを支持するようになりました。

リンカンはこのようにして味方を増やしていきました。

転換点 ゲティスバーグの戦いとリンカン

しかし、最初は優勢だった南部のアメリカ連合国も、後半には追い詰められていきます。

 

その大きな転換点が、ゲティスバーグの戦いとその後の有名なリンカン(リンカーンです)のスピーチですよ。

 

ゲティスバーグの戦いは北部が激しい戦いでしたが、北部が勝利を収めます

 

その後「人民の人民による人民のための政治」という超有名なフレーズが登場する奴隷解放宣言が、リンカンのスピーチで発表されました。

ルリアゲハ
ちなみに「人民の人民による人民のための政治」というフレーズはリンカン自身が考えたものではありません。他人の言葉の引用だそうですよ。

このことは夢をかなえるゾウという本でも紹介されています。

 

奴隷解放宣言のスピーチで

私たちは奴隷を解放するために戦っているんだ!

と明言することで、奴隷だけでなく、国内外の奴隷解放を望む市民の支持を集めることに成功します。

 

最終的にはアメリカ北部のアメリカ合衆国が南北戦争に勝利しました。

南北戦争の結果 奴隷は解放されたか?

ジェード
結局南北戦争は北部のアメリカ合衆国が勝ったんだよね?

でも、北部の望んだ奴隷解放は実現したの?

と疑問に思っているでしょう。

 

結論から言うと、南部の奴隷は奴隷の身分から解放されました。

しかし、かつての奴隷が自由で安全に暮らせるようになったかというとNoですよ

 

一体どういうことなのでしょうか?

一言でいうと、

奴隷だった人たちは奴隷身分からは解放されたが、小作人となって農場主に搾取された

という感じですよ。

 

確かに彼らは自由な身分にはなりました。

ですが、国から仕事や土地が与えられたわけではありませんでした。

 

だから、生活に困った元奴隷の人々は不十分な奴隷解放に不満を持ちます

 

結局元の奴隷主のもとに戻るしかありませんでした

そして、大農場を持っていた元奴隷主から土地を借りて小作人になります

この小作人のことをシェアクロッパーといいますよ。

 

さらに、南部の社会不安から黒人に対する風当たりが強くなりました。

不安や絶望

南部の人々も自分たちの正義を貫くために南北戦争で戦いました。

しかし、戦争が終わると自分たちの理想の世界はなく、南北戦争に勝った北部の言いなりになるしかなかったのです。

 

そして、南部の人々の不満は黒人に対してぶつけられました。

例えば、黒人取締法やK.K.K(クー・クラックス・クラン)という黒人に対して非人道的な事を行う秘密結社の登場ですよ。

 

そのような黒人にとって居心地の悪い場所で生きなければならないという時代が南北戦争が終わっても続きます。

 

だから、奴隷自体は解放されたけど、かつての奴隷が本当に平等になったわけではありませんでした。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は世界史で習う南北戦争について解説しました。

 

内容を簡単にまとめると、

まとめ

  • 南北戦争1861年から1865年にかけてアメリカで起こった戦争
  • アメリカ北部のアメリカ合衆国南部のアメリカ連合国に分かれて戦った→勝ったのは北部のアメリカ合衆国
  • 南北戦争が起こった原因は北部と南部の理想のアメリカ像の違いと西部に新しくできた州で奴隷制を採用するか否かの争い
  • 共和党のリンカンが大統領に就任すると、アメリカは2つに分裂し戦争始まる
  • 最初は南部の優勢→リンカンはホームステッド法で支持者を増やす
  • 転換点はゲティスバーグの戦いとその後の奴隷解放宣言の演説
  • 南北戦争後奴隷制は廃止されたが、元奴隷の黒人は小作人(シェアクロッパー)として搾取され、特に南部での差別にさらされた。

という感じですね。

 

南北戦争はやっぱり戦争が起こる前の南部と北部の利害対立が一番難しいですよね。

しかし、さっき言ったように「なぜそうなったか?」という因果関係で覚えたほうが忘れにくいですよ。

そうすると、テストでも高得点を取りやすくなります

 

また、世界史のテストでなんとしても高得点が取りたい人

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

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