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【世界史が苦手な人必見】古代オリエントを完全解説

オリエント アイキャッチ

皆さんこんにちはルリアゲハです。

世界史を勉強していると、最初の方に習う古代オリエント史。

正直に言って、

  • 民族の名前
  • 文明や国の名前と場所
  • それぞれの文明や国の政治体制や特徴
  • 歴史の流れ

などをたくさん覚えないといけないので、面倒ですね。

ジェード
覚えることが多すぎるし、流れも分からない。何とかならないのだろうか…

と悩んでいる方も多いのではないでしょうか。

 

大丈夫です。この記事を読めば

  • 古代オリエント史(メソポタミア文明からササン朝ペルシャまで)の流れ
  • それぞれの国、文明の位置
  • メソポタミア文明のそれぞれの民族
  • エジプトの文明
  • 東地中海の三民族
  • オリエント統一→分裂
  • イランの王朝

について理解できます。

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 古代オリエント

古代オリエントは前6000年にオリエントで起こった文明です。オリエントというのはヨーロッパから見て太陽が昇る所(東)という意味です。

ちなみにオリエントというのは現在の中東ですね。

多くの民族が活躍 メソポタミア文明

メソポタミア文明ティグリス川とユーフラテス川の内側の地域で起こった文明です。

ティグリス川が東で、ユーフラテス川が西ですね。

メソポタミアには山脈、海、砂漠といった天然の要塞がありません。

平坦な土地メソポタミア

なので、平坦な土地に多くの民族が登場します。

覚える側にとっては厄介な話ですね。

最初に都市国家を作る シュメール人

最初に高度な文明を作ったのはシュメール人です。

それまで文明は小さな村落でしたが、都市国家へと変わって行きました。

 

彼らが使った文字も解読されていて、都市国家の名前がウルウルクだったことも分かっています。

ルリアゲハ
前3000年頃の言葉が分かっているのはすごいですね。

難しそうな言葉がたくさん

 

また、シュメール人は王が神権政治を行っていました。神をまつるための巨大な建造物ジッグラト(聖塔)が現在まで残っています。

 

そんなシュメール人の都市国家は、前24世紀にアッカド人によって滅亡しました

巨大な国を作った アッカド人

シュメール人の都市国家を滅ぼしたアッカド人。彼らはメソポタミアやシリアの都市国家を統一し、大きな領域国家を作ります。

しかし、アムル人という民族にとって代わられました

ハンムラビ王 アムル人

アムル人バビロン第1王朝(古バビロニア王国)を建国しました。

古バビロニア王国というのは、バビロンを都とした最初の国という意味です。

 

ルリアゲハ
ちなみに、このあと出てくるアッシリアという国が分裂後、同じバビロンを都とした新バビロニア王国ができますよ。

 

バビロン第一王朝といえば、ハンムラビ王ハンムラビ法典が有名ですね。

ハンムラビ法典

 

「目には目を歯には歯を」

という言い回しは知っているのでは

ないでしょうか。

このハンムラビ法典の特徴は

  • やられた以上にやり返してはならない(復讐法)
  • 身分によって刑罰が異なる

です。

このルールができるまでは、被害を受けた人が自分が被害を受けた以上に復讐することが当たり前にありました。

しかし、それだと世の中にさらに傷つく人が増えますよね。

そう考えると、やられた以上にやり返してはならないというルールは非常に画期的なものでした。

 

楔形文字による成文法ができたバビロン第1王朝でしたが、ヒッタイト人によって滅亡します。

最強の民族 ヒッタイト人

ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼした最強の民族です。最強の秘密は

  • 初めて鉄製の武器を使用
  • 馬や戦車も使用

したこととされています。

 

ヒッタイト人は小アジア(現在のトルコ)に拠点を構えながら、バビロン第一王朝だけでなく、エジプト(新王国)にも攻めました。

最強の民族

しかし、謎の民族「海の民」によって滅ぼされます。

ナイルの賜物 エジプト文明

エジプト文明ができたのはメソポタミアの少し後でした。

 

エジプトは定期的なナイル川の氾濫によって発展していきます。氾濫によって、上流から農業に最適な土が流れてきました。

豊作の農業

エジプトはファラオという王が神権政治をします

それではエジプトを古王国、中王国、新王国に分けて見ていきましょう。

ピラミッドの古王国

エジプトの古王国はピラミッドが多く作られたことで有名です。ピラミッドといえば、この写真のような巨大で精密な建造物ですよね。

エジプトのピラミッド

異民族により混乱 中王国

中王国は異民族に翻弄された王朝です。

中王国末期に遊牧民のヒクソスが流入して国内が大混乱しました。

最盛期 新王国

エジプト文明で最も栄えたのは新王国です

繁栄に満ちた国

中王国末期に入ってきたヒクソスを追い払って、国ができました。

 

新王国で覚えておきたいファラオはアメンホテプ4世(イクナートン)です

アメンホテプ4世は急激な改革をいくつもします。

 

その例として

  • 多神教から一神教へ変える
  • 都をテル=エル=アマルナへ移す

などです。

エジプトは多神教だったのですが、アメンホテプ4世は

アトン神だけを信仰しろ!他の神は信じるな!

と言いました。

 

そして、自らをクナートン(アトンに愛された者)と名乗ります。

 

さらには遷都も行いました。

 

これらの政策は多くの反発を生み、彼の死後は多神教に戻りました。

 

ちなみに彼の次のファラオは、あの黄金のマスクで有名なツタンカーメンです。

 

エジプト文明については

で詳しく解説していますよ。

東地中海の三民族

東地中海の沿岸(現在のシリア、パレスチナ)には三つの民族がいました。

その理由は、東地中海沿岸は重要な交易の拠点だったからです

 

ここでは東地中海に住んでいた民族、アラム人、フェニキア人、ヘブライ人を紹介します。

 

アラム人とファニキア人は、覚えるときに

アンバー
どっちが内陸交易で、どっちが海上交易だったっけ?

となりがちです。

内陸交易はアラム人

海上交易はフェニキア人

という風に何度も繰り返し唱えて記憶に定着させましょう。

内陸交易 アラム人

アラム人は内陸交易を行いました

砂漠地帯の陸上交易

彼らの使っていたアラム文字は西アジア各地に広がります。

主に拠点としたのは後にウマイヤ朝の都となったダマスクスです。

海上交易 ファニキア人

同じく交易を行ったファニキア人は、海上交易で活躍します。

広い海

商売を行う過程で、地中海各地に多くのファニキア人都市を作りました。

 

中でも有名なのは、ローマ帝国の歴史に登場するカルタゴです。

カルタゴはローマと戦争したことで有名ですね。(ポエニ戦争)

 

ローマ帝国やポエニ戦争については

という記事で詳しく解説していますよ。

 

もう一つ有名なのは、フェニキア文字です。

フェニキア文字はアルファベットの起源とされています

アルファベットを見たことも書いたこともないという人は絶対にいないですよね。

英語とアルファベット

フェニキア文字はギリシアに伝わって、ギリシア文字となります。

α(アルファ)やβ(ベータ)、Δ(デルタ)というのはギリシャ文字ですね。

 

そのギリシア文字がアルファベットとなっていきます。

ユダヤ教 ヘブライ人

ヘブライ人(≒ユダヤ人)はパレスチナに定住した民族です。

 

ユダヤ教を生み出したことでも有名ですよね。

ユダヤ教は

  • 唯一神ヤハウェ
  • 選民思想(自分たちは神に選ばれた民だという思想)
  • 旧約聖書
  • メシア(救世主)信仰

などで有名ですね。しかし、数々の苦難が成立の背景にあるというのは押さえておきたいポイントです。

苦難を時系列順に並べると

エジプトで迫害される(この時、ヘブライ人たちを引き連れたのはモーセ)

自分たちの国を作るが分裂

分裂した国も滅亡

新バビロニアからバビロン捕囚を受ける

などです。

苦難の連続が、選民思想などの要素を含んだユダヤ教へ影響を与えたというのは大事ですね。

オリエント統一そして分裂

ついに達成されたオリエントの統一。しかし、厳しい統治が分裂を招いてしまいます。

厳しい統治をした短命王朝 アッシリア

初めてオリエントを統一したのはアッシリアという国です。アッシュル=バニパル王という王の征服活動により達成されました。

しかし、厳しすぎる統治がアッシリアを短命にしてしまいました。

破滅した国

簡単に言うと

俺に逆らった民族は根絶やしにしてやる!

というスタンスですね。

そのあまりの残酷さから、多くの反発の声が生まれました。

そうして反乱が起こって、4つの国に分裂しました。

アッシリア 4つに分裂

アッシリアが分裂してできた国は

エジプト、リディア、メディア、新バビロニア

です。

最終的にこの4国を統一するのはアケメネス朝ペルシアです。

寛容で中央集権的 アケメネス朝ペルシャ

再びオリエントを統一したのはアケメネス朝ペルシアという国です。

厳しすぎる統治で滅んだアッシリアを反面教師にし、寛容な政治をしました

優しい心

 

3代目のダレイオス1世サトラップ制で広大な領土を中央集権的に管理します

この時の領土はインドの北東部からギリシャの北東までありました。

 

その領土を郡に分けて、サトラップという知事を置きました。

さらに、サトラップが反乱を起こそうとしていないかを監視する監視官(王の目、王の耳)も置きます。

そうして中央集権的な国を作りました。

しかし最終的に、アレクサンドロス大王により滅ぼされます。

アケメネス朝ペルシア滅亡後

アケメネス朝ペルシアが滅亡した後の流れはこんな感じです。

アレクサンドロス大王の大帝国

↓死後

3つに分裂

パルティア(中国名:安息)

ササン朝ペルシヤ

ササン朝ペルシャ

ササン朝ペルシャはパルティアを倒して西アジアに成立した国です。

都はクテシフォン、国教はゾロアスター教(拝火教)と定められます。

 

ササン朝は帝政ローマや東ローマ帝国と並ぶ強国で、長い間抗争を繰り広げますよ。

ササン朝とビザンツの抗争

この抗争が、イスラーム教の聖地メッカやメディナが発展するきっかけになりました。

ジェード
なんで大国同士の抗争でメッカやメディナが発展したのか?

と思ったかもしれません。

 

どういうことかというと、東西を行き交う商人たちがアラビア半島を通るようになったからです。彼らはニ大国の激戦地を避けて、アラビア半島を経由した迂回ルートを利用しました。

ちなみに商人の迂回ルートは上の地図の青い矢印のルートですよ。

 

そうして発展したアラビア半島でイスラーム教が生まれ、信者がどんどん増えます。

 

イスラーム教の成立については

で詳しく解説しています。

 

そうして、生まれたイスラーム教徒と戦うこととなり(ニハ―ヴァントの戦い)、ササン朝ペルシャは敗北しました。

 

その結果、ササン朝ペルシアは滅亡しますよ。

 

その後オリエントは、イスラーム教勢力によって支配されます

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回はメソポタミア文明からササン朝ペルシャまでの古代オリエントを簡単にまとめました。

 

古代オリエントの流れをつかんで、高得点を目指してみてくださいね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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