皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史で中国の歴史を勉強していると儒学や科挙などの用語や中華思想などの思想がよく出てきますよね。これらがわかると世界史の中国史を理解しやすくなりますよ。
あなたは易姓革命、中華思想、儒学、科挙、宦官について全て説明できますか?出来ないという方も大丈夫です。
この記事を読めば
- なぜ中国は王朝の名前がコロコロ変わるのか
- 儒学、科挙、宦官ってよく出てくるけどなんなのか
- 中国はどういう考えで外交していたのか
が説明できるようになります。
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易姓革命
易姓革命というのは中国の王朝交代を説明する理論です。周王朝の時に生まれました。
どういう理論かというと天命を受けて新たな有徳者が国を治めるという理論です。
わかりやすく言うと、支配者にふさわしい人に
天は
「国を治めなさい」
と命令を下して国を治めさせます。天に選ばれた支配者が亡くなると、一族の中から後継者を選んで国を存続させました。そして、その国の支配者が支配者としてふさわしくないと天が判断します。そうすると、今度は新しい人を見つけて支配者に任命します。
この思想が生まれた周は前の王朝を倒してできた王朝でした。なので支配を正当化するため
「自分たちの一族は天に支配者として選ばれた一族だ!」
と主張しました。
易姓革命の考えは周の後の王朝も採用し、国を治める一族が変わると王朝名が変わるという伝統ができました。
中華思想(華夷思想)
中華思想は自分たち漢民族は他に比べて文化的に優れているという思想です。易姓革命と同じ周の時代に生まれました。中国は世界の中心だという思想は歴代王朝の外交に影響を及ぼしました。
例を挙げると、冊封体制やそれに基づいて行われた朝貢貿易です。冊封体制は周辺諸国は中国に貢物を持ってきて、中国は貢物をくれた国に返礼品などを与える朝貢貿易で成り立った外交関係のことです。
東アジアでは長い間中国と周辺諸国が、冊封体制によって主従関係を結んで国際秩序を保ちました。
儒学
儒学は孔子によって生まれた仁と礼(周囲に思いやりの心を持って行動する)や上下関係を重んじた思想です。
周王朝の春秋戦国時代に生まれました。諸子百家の一人である孔子の後に、弟子の孟子や荀子によってさらに発展していきます。
諸子百家について詳しく知りたい方は
がおすすめです。
周の次の王朝秦では弾圧されます。しかし、秦の次の漢以降では国をまとめるために官学化しました。
科挙
科挙というのは隋の時から清(598~1905年)まで行われた、官僚登用試験です。
家柄でなく実力で官僚を採用するために行われます。科挙は
- 王朝によって出題される部分が少し異なる
- モンゴル人王朝の元ではあまり行われなかった
というのが特徴です。
試験の内容は四書五経という書物が中心でした。
試験に合格するには、膨大な量の四書五経を完全暗記することが求められます。まさに超過酷な試験ですね。合格すれば莫大な権力と富が手に入るので、倍率がピーク時には3000倍になりました。なので、カンニングが横行したそうですよ。
家柄でなく実力で官僚を選ぶという試験だったので、男性ならだれでも受験できました。しかし、実際に合格するのは学習環境を充実させられる経済的に裕福な層ばかりでした。
宦官
宦官は宮廷で働く去勢された男性です。主に皇帝の身の回りの世話などをしました。身分は低かったですが、皇帝の側にいたので、政治的に権力を持つこともありました。
有名な宦官は漢の蔡倫(さいりん)や明の鄭和(ていわ)です。蔡倫は製紙法を改良したことで有名ですね。もう一人の鄭和は明の永楽帝に重用され、南海遠征を指揮しました。
鄭和の活躍した明の時代については
で詳しく解説しています。
まとめ
今回は世界史の中国史を理解するのに、特に重要な用語をピックアップして紹介しました。中国史はとても長いので、最初の方に出てきた用語はあやふやになってしまいがちです。
今回の記事でとりあげた
- 易姓革命
- 中華思想
- 儒学
- 科挙
- 宦官
は絶対押さえておきましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。