皆さんこんにちはルリアゲハです。
世界史で中国史を勉強するとき、一条鞭法と地丁銀制という税制が出て来ますよね。
この二つは
と思っているかもしれません。
分からないという方も大丈夫です。
この記事を読めば
分かること
- 一条鞭法と地丁銀制の違い
- 以前の税制 租庸調制や両税法との違い
- それぞれの税制が変わった理由
を理解できますよ。
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目次
一条鞭法と地丁銀制の違い 時代と税の仕組みが違う!
まずは、一条鞭法と地丁銀制について見ていきましょう。
一条鞭法は土地税と人頭税(人にかかる税)を全て銀で払う税制です。
始まったのは明の後期(万歴帝の時)ですよ。
ちなみに、万暦帝は明の滅亡を早めたと言えるぐらい仕事をしなかった皇帝として有名ですよ。
一条鞭法が実施された、明王朝については
(完全版)世界史の明が5分で分かる(誰でも簡単)
続きを見る
という記事で詳しく解説しています。
もう一方の地丁銀制は、人頭税を土地税の中に含んで納入する仕組みです。
つまり、人頭税を廃止する代わりに、土地税を増税したということですね。
地丁銀制は清前期の康熙帝(こうきてい)のときに始まりました。
中国の王朝の順番は明→清です。
ということは、実施された順番は
一条鞭法→地丁銀制
ですよね。
二つを比較して共通しているのは、二つとも銀で税を納める制度ということですよ。
しかし、結局どこが違うのでしょうか?
違いをまとめると
一条鞭法と地丁銀制の違い
- 実施された時代が違う(一条鞭法は明王朝 地丁銀制は清王朝)
- 必要な税の種類が違う(地丁銀制になってからは人頭税がいらなくなった)
という感じですね。
中国の王朝の順番を忘れたという方は、それぞれの王朝の特徴も確認できる(ごちゃごちゃ解決) サクッと読める中国の王朝まとめ(中国史)
がおすすめです。
以前の税制 両税法や租庸調制と何が違う?
しかし、
と思ったかもしれません。
一条鞭法の前は両税法や租庸調制という税制がありました。
両税法(唐中期~)は年二回農作物や貨幣で納める税制です。
もうひとつの租庸調制は、農作物と労働で税を納める仕組みで、隋から唐中期まで行われました。
租庸調制は均田制とセットで実施されましたよね。
どういうことかというと、租庸調制は均田制で作った戸籍で税を集めていたからです。
なので、租庸調制といえば均田制とセットと覚えておきましょう。
ちなみに、日本史でも租庸調制や均田制は出てきますよね。この理由は、当時世界最大の国だった唐の税制を真似たからですよ。
両税法から一条鞭法になった理由 なぜ銀で税を取る?
ここまででは銀で税を収める一条鞭法と地丁銀制。さらには農作物や労働を収める租庸調制と貨幣を収める両税法を見ていきました。
しかし、なぜ一条鞭法からは銀で税を収めることになったのでしょうか?
理由の一つ目は、現物経済から貨幣経済へと移り変わったからです。
言い方を変えると、現物よりもお金の方が価値のある世の中になったということですね。
そのような社会の変化によって、現物を納める両税法は廃止されました。
しかし、ここまで読んで
と疑問に思った人もいると思います。
もう一つの理由は中国に銀がたくさん入ってきたからです。
当時の貿易では生糸や陶磁器、お茶を銀と交換していました。
例えば、当時一番栄えていたイギリスとは
下の図のように貿易を行っていましたよ。
中国の生糸や陶磁器、お茶はたくさん売れたので、膨大な量の銀が中国に入ってきます。
そこで、イギリスが銀の流失を防ぐために行ったのが、中国がアヘン漬けになった三角貿易です。
世界史はこんな風につながっているのですね。
ちなみに、中国に入ってきた銀の主な使い道は高額な取引をするときです。
中国の人たちは高額な取引では貨幣ではなく銀を通貨として使っていました。
一方、貨幣は比較的安価な取引をするときに使われましたよ。
官僚たちはよく高額な取引を行っていました。
さて官僚たちにとって使い勝手の良いのは銀か貨幣どちらでしょうか?
もちろん銀ですよね。
だから、官僚たちは
「給料をもらうのなら貨幣よりも銀がいい!」
と思い始めます。
そうして、官僚たちは銀で給料を求めるようになり、一条鞭法が実施されました。
長くなりましたが、なぜ税制が一条鞭法に変わったのか?と問題で聞かれたら,
- 貿易で銀が大量に流入したから
- 貨幣経済になったから
などと答えれば大丈夫です。
なぜ一条鞭法は地丁銀制に変わった? 鍵は社会の変化
なぜ一条鞭法は地丁銀制に変わったのでしょうか?
一条鞭法から地丁銀制に変わった理由は中国のどんどん人口が増加したからです。
急激に人口が増えると、国が正確に人口を把握して税を取るのが大変になります。
しかし、
「人口が多すぎて、一人ずつ調べるのはめんどくさい…」
という理由でサボると、税を取りそびれてしまいます。
人口がわからないと一人ひとりにかかる人頭税は取れないですね。
そうして、人頭税を廃止する代わりに土地税を高くする地丁銀制を採用します。
土地税だけになったので、一人ひとりが負担する税自体は減りました。
と疑問に思ったかもしれません。
しかし、結果は
- より多くの税を取れるようになった
- 人口もさらに増加した
となります。
より多くの税を取れるようになった理由は、税を取りそびれることが減ったからですね。
また、地丁銀制は人ではなく、土地だけに税がかかりましたよね。
つまり、家族が増えても税金は上がらなかったので、国の人口もさらに増えていきました。
結果でいうと、地丁銀制は大成功ですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
今回は、世界史の一条鞭法と地丁銀制の違い、租庸調制と両税法との比較、なぜ税制が変わったかについて解説しました。
今回の記事の内容を簡単にまとめると、
まとめ
- 一条鞭法は税をすべて銀で取る仕組み
- 地丁銀制は人頭税を廃止した(銀納)
- 一条鞭法は明代に、地丁銀制は清代に行われた
- 一条鞭法と地丁銀制と異なり、租庸調制は農作物と労働、両税法は農作物と貨幣で納入
- 一条鞭法になったのは貨幣経済になり、さらに銀が大量に流入したから
- 地丁銀制になったのは国の人口が増加したから。
- 実施された順番は租庸調制→両税法→一条鞭法→地丁銀制
となります。
今回の内容をマスターして、テストで高得点を目指してくださいね。
最後まで読んでいただきありがとうございます。