皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史を勉強していると出てくる古代インド。

という方もいるでしょう。

なにそれ?全然わからないという方も大丈夫です。
この記事を読めば
この記事で学べること
- 古代インドの特徴
- インダス文明からヴァルダナ朝までの流れ
- それぞれの王朝の政治や文化
を浅く広く復習できます。
※ちなみに、分かりやすくするため、北インドの王朝を中心に紹介しています。
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目次
バラバラのまま共存 古代インド
古代インドの特徴は、いろいろな民族や文化などが混在している点です。
例えば、インドの民族はドラヴィダ人とアーリア人に分けられます。ドラヴィダ人はインドに元々住んでいた民族で、アーリア人は途中で入ってきた民族ですね。
宗教もヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教など様々です。また、この記事では詳しく触れませんが、後の時代にはイスラーム教も入ってきます。
イスラーム教について詳しく知りたい人は
-
(世界史)イスラーム教はどんな流れで成立したのか?(超重要)
続きを見る
という記事で詳しく解説していますよ。
インドでは多くの民族や習慣がバラバラのままで共存しているのです。
このパートのまとめ
- 古代インドの特徴は多くの民族と文化がバラバラに共存していること
- インドには元々住んでいたドラヴィダ人と後から入ってきたアーリア人がいる
- 古代インドで生まれた宗教はヒンドゥー教とジャイナ教、仏教がある
ドラヴィダ人の時代 インダス文明
最初に紹介するのは、インダス文明です。インダス文明といえば、
- メソポタミア文明
- エジプト文明
- 中国文明
- インダス文明
の四大文明の一つとして有名ですね。
インドでできたインダス文明は前2600年頃にできます。ということはメソポタミア文明やエジプト文明よりは後の文明ですね。
インダス文明の特徴は
- 青銅器を使用
- ドラヴィダ人の文明
- 高度な計画都市
- インダス文字(未解読)を使用
という感じです。インダス文明はインダス文字が未解読なので、詳しいことはあまり分かっていません。
ちなみに、インダス文字は下の写真の文字です。
World Imaging - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=268919による

主な遺跡にはモヘンジョ=ダーロやハラッパ―があります。
ちなみに、遺跡の場所はよく問題に出てくるので、覚えた方が良いですよ。二つの遺跡の場所は下の地図をご覧ください。
しかし、インダス文明は前2000年頃には衰退していきます。
アーリア人の時代 ヴェーダ時代
インダス文明が衰退していった頃、西の方から新しい民族が入ってきます。
どんな民族なのでしょうか?
それはアーリア人という白い肌の民族です。
インドに定住したアーリア人はドラヴィダ人と農業をしながら、ヴェーダという神への讃美歌集を作りました。
歌詞の書かれたヴェーダで特に有名なのは『リグ=ヴェーダ』ですね。なので、
アーリア人の時代のことをヴェーダ時代と呼びます。
ヴェーダ時代は前1500年から前600年ごろまで続きました。
しかし、ヴェーダ時代の後半になると、経済・社会的身分の差が拡大しました。
そうして生まれたのが、ヴァルナ制です。
ヴァルナ制では主に4つの階級があって、一番偉いのはバラモン(神官)です。
バラモンに続いて、
王や武士のクシャトリヤ
商人や農民のヴァイシャ
隷属民のシュードラ
といった序列ができました。
図で表すとこんな感じですよ。
しかし、なぜ格差は生まれたのでしょうか?
なぜなら、社会全体で農業を続けていると、どうしても収穫量の格差が出てきたからです。
たくさん農作物が取れた人は農作物を貯蓄していきました。
つまり、財産を蓄えていったのです。
たくさんの農作物が採れた人たちは、農業を辞めます。農業をやめた彼らは神官になったり王や武士になりました。
さっき紹介したバラモンやクシャトリヤのことですね。
さらに、あまり農作物が採れなかった人たちに対して偉そうにしました。
そのようにして、ヴァルナ制という固定された身分制度は続いていきます。

新しい宗教の誕生 都市国家
ヴェーダ時代が終わると、小さな国がポツポツと出来ていきました。有名なのはマガダ国やコーサラ国ですね。
都市国家分立の時代にはある問題が起こります。どんな問題なのでしょうか?
それは、バラモン教で偉そうにするバラモン(神官)に対する不満です。
「俺が一番偉いんだ!」
と威張っていたバラモンに対して疑問の声が上がります。
そうして、バラモン教に反対する新しい宗教である
仏教やジャイナ教が生まれました。
二つの宗教のうち仏教は絶対知っていると思いますが簡単に説明します。
仏教はガウタマ=シッダールタ(ブッタ)が作った宗教ですね。
「正しい行いをして、この世にある多くの苦しみから解脱する」
ということをブッダは説きました。
もう一つのジャイナ教はヴァルダマーナという人が始めた宗教です。
不殺傷や無所有という厳しい戒律を徹底する宗教ですね。
ジャイナ教は聞いたことが無いという人もいると思います。
でも、ジャイナ教は
- ヴァルダマーナが始めた
- 厳しい戒律を守る宗教
ということは覚えておきましょう。
一方、批判されまくったバラモン教はある改革をしました。
改革というのは、ウパニシャッド哲学を生み出したことです。
ウパニシャッド哲学は、偉そうになったバラモンを内部から変えるために生まれました。
どんな内容か説明すると長くなるので、また別の記事で解説します。
ウパニシャッド哲学や仏教、ジャイナ教についてついてより詳しく知りたい人は
以下の記事がおすすめです。
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【世界史成績アップ】古代インドの宗教を完全解説【これで完璧】
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このパートのまとめ
- ヴェーダ時代の後は小さな国家が各地にポツポツとできる(都市国家)
- 都市国家で有名なのはマガダ国とコーサラ国
- バラモン教に反発して仏教とジャイナ教が誕生
- 反発されたバラモン教はウパニシャッド哲学を生み出し、内部からの改革を図る
初のインド統一 マウリア朝
ついにバラバラの国だったインドは一つになります。
なぜインドは一つになったのでしょうか?
答えはアレクサンドロス大王と対抗するためです。
アレクサンドロス大王はギリシアのマケドニアからインドのすぐ側までの大帝国を作りました。インドの人たちにとっては大ピンチですね。
「このままではアレクサンドロス大王に支配される…」
と危機感を抱いたインドの人々は統一国家を作ろうとします。
最終的にインドを統一したのはチャンドラグプタという人です。
そうして、初めての統一王朝マウリア朝が誕生しました。
マウリア朝は3代目のアショーカ王が、仏教で国をまとめたことで有名ですね。
主な仏教に関する政策として
- 仏教の法(ダルマ)を石碑に刻んで各地に置く
- セイロン島(現在のスリランカ)へ仏教を布教
- 仏典の編纂(仏典結集)を行う
などが挙げられます。
しかし、アショーカ王の死後、財政難や仏教にお株を奪われたバラモンの反発により、マウリア朝は衰退していきました。
このパートのまとめ
- マウリア朝はチャンドラグプタが建てたインド初の統一王朝
- インド統一の背景はアレクサンドロス大王に対抗するため
- 3代目のアショーカ王は仏教で国をまとめた
- アショーカ王死後はマウリア朝は衰退
東西の文化が融合 クシャーナ朝
衰退したマウリア朝に代わってできたのはクシャーナ朝です。
クシャーナ朝はシルクロードを使った陸上の東西交易で発展しました。
シルクロードというのは中東(オリエント)とインドと中国をつなぐ交易路ですよね。
クシャーナ朝の最盛期はカニシカ王の時代です。
クシャーナ朝の文化として
- ガンダーラ美術
- 大乗仏教
が挙げられます。
ガンダーラ美術は東西交易で入ってきた、ギリシアやペルシア、中国の文化から生まれました。
ガンダーラ美術は下の写真のようなヒダのある服が特徴です。
そして、仏教も中国や日本に広まった大乗仏教と東南アジアに広まった上座部仏教に分かれました。
海上交易で発展 サータヴァーハナ朝
クシャーナ朝とほぼ同時期にできたのがサータヴァーハナ朝です。
インドの南の方にできたサータヴァーハナ朝は海上交易で発展しました。
インドの南の方にはインド洋がありますよね。
どんな国と交易したのかというと、ローマ帝国と中国の後漢です。
ローマ帝国=ヨーロッパ 後漢=東アジア
なので、それぞれ東と西の大国ですね。
ローマ帝国について詳しく知りたい人には
という記事がおすすめです。
ローマ帝国と後漢の中間地点にあったサータヴァーハナ朝は、中継貿易をしました。
このパートのまとめ
- クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝はどちらも東西の中継地点として発展した
- 北インドのクシャーナ朝はシルクロードを利用した陸上交易
- 南のサータヴァーハナ朝はインド洋を使った海上交易
- クシャーナ朝ではガンダーラ美術が発達し、仏教が上座部仏教と大乗仏教に分かれた
- サータヴァーハナ朝はローマ帝国や中国の後漢と交易した
インドの古典文化の祖 グプタ朝
クシャーナ朝が滅亡した後、グプタ朝という王朝ができました。
グプタ朝はチャンドラグプタ1世が建国します。
グプタ朝を一言で表すと
多くのインド古典文化が生まれた王朝
です。
例えば
- ヒンドゥー教
- サンスクリット文学
- グプタ様式の寺院や仏像
- 数学や天文学
などですね。
インドの古典文化のうちどれか一つは知っているでしょう。
それぐらい後世に大きな影響を与えたものばかりです。
得点アップを狙うあなたにもう一人覚えてもらいたい王様がいます。
それはグプタ朝の最盛期の王チャンドラグプタ2世です。
繫栄したグプタ朝でしたが、異民族によって滅亡しました。
唐の玄奘が訪れた短命王朝 ヴァルダナ朝
グプタ朝の後にできたのはヴァルダナ朝です。
ヴァルダナ朝の王はハルシャ王だけなので一代限りの短命王朝ですね。
なので、ヴァルダナ朝はあまり覚えることはありません。
ただ、ヴァルダナ朝で覚えておきたいのは、唐の玄奘(げんじょう)が訪れたということです。
玄奘は、仏典を求めて仏教の本場インドに来ました。
そして、ハルシャ王の支援を受けて、ナーランダー僧院で仏教を学びます。
ナーランダー僧院というのは、一つ前の王朝グプタ朝の時代にできた寺院ですよ。
唐からインドに仏教を学びに来たのは玄奘だけではありません。
もう一人は海からインドに来た義浄(ぎじょう)です。
二人がインドに仏教を学びに行ったおかげで、唐の仏教は発展しました。
仏教の本場だったインドですが、ハルシャ王の死後、徐々に仏教は衰退します。
代わりにヒンドゥー教が発展しました。
ヴァルダナ朝滅亡後→分裂時代
ハルシャ王が亡くなると、すぐにヴァルダナ朝は滅亡します。
ヴァルダナ朝滅亡後は300年ほどの分裂時代が続きました。
長い分裂時代を終わらせたのは、インドにできたイスラーム王朝です。
そうして、
ガズナ朝→ゴール朝→奴隷王朝→デリー=スルタン朝
という風にイスラーム王朝が次々と入れ替わります。
その後、
ムガル帝国という国が成立しますよ。
まとめ
いかかでしたでしょうか。
今回は古代インド史の流れを浅く広く解説しました。
内容を超簡単にまとめると
- 古代インドにいたのは先住民のドラヴィダ人と流入したアーリア人
- 古代インドの流れはインダス文明→ヴェーダ時代→都市国家→マウリア朝→クシャーナ朝→グプタ朝→ヴァルダナ朝
という感じです。
今回の内容をマスターして、良い成績を取りましょう。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。