世界史 世界史-中国史

(完全版)世界史の明が5分で分かる(誰でも簡単) 




明 アイキャッチ

皆さんこんにちはルリアゲハです。

世界史で中国史を勉強していると出てくる明という王朝。

 

ジェード
明ってどんな王朝だったっけ?

という感じで記憶にない方もいるかもしれません。

 

ルリアゲハ
そんなあなたに質問です。明はどんな政治体制で、どんな流れでしたか?

思い出せないという人も大丈夫です。

この記事を読めば

この記事で学べること

  • 明の成立から滅亡までの流れ
  • 政治の特徴
  • 最盛期の永楽帝
  • 明のピンチ 北虜南倭について
  • なぜ明は滅亡したのか

について分かります。

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 明王朝とは

明王朝は 元王朝の次に中国を支配する王朝です。

紅巾の乱で頭角を現した朱元璋によって建国されます。ちなみに紅巾の乱というのは、元朝末期に起こった乱ですね。

 

元朝(モンゴル帝国)については

で詳しく解説していますよ。

 

明王朝は

  • 漢民族の王朝
  • 管理的な統治

でした。

なので、明王朝はモンゴル人の王朝、や自由な統治をした漢民族の王朝、とは全く毛色の違う王朝ですね。

ちなみに、明の都は最初は南京で、永楽帝以降は北京です。

 洪武帝の管理的な統治

明を建国した朱元璋洪武帝として即位します。なので、

洪武帝=朱元璋

ですね。

 

洪武帝は元々貧しい農民でした。だから貧しい人々にも優しい統治をしたのかと思いきや…実際は真逆だったのです。そう、彼の統治は超管理的でした

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具体的には

  • 中書省を廃止し、六部を皇帝の直属に
  • 租税台帳(賦役黄冊)と土地台帳(魚鱗図冊)を作る
  • 民間貿易を禁止(海禁
  • 里甲制で農民をまとめる
  • 農民に六諭を唱えさせる
  • 一世一元の制(一人の皇帝の治世には一つの元号)

という感じです。一つずつ詳しく見ていきましょう。

中書省を廃止し、六部を皇帝の直属に

一つ目の政策は中書省を廃止して、六部(りくぶ)を皇帝の直属にすることです。

 

中書省というのは皇帝の命令を作る所で、六部は上からの命令に従って、仕事をする役所ですね。なので、皇帝が直接指示しなくても仕事をしてくれました。

 

しかし、洪武帝は代わりに命令を作ってくれる中書省を廃止し、自分で指示することにします

自分で、六部に命令して仕事をさせるので、

六部=皇帝直属

になったのです。

 

自分で直接指示するようになったので、皇帝の自由になりましたが、皇帝の仕事は増えました。大変ですね。

租税台帳(賦役黄冊)土地台帳(魚鱗図冊)を作る

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二つ目の政策は租税台帳と土地台帳を作ったことです。

租税台帳の名前は賦役黄冊(ふえきこうさつ)で、土地台帳の名前は魚鱗図冊(ぎょりんずさつ)といいます。

 

全国の膨大な数の農民を管理するために作られました。

民間貿易を禁止

さらに、洪武帝は民間貿易を禁止(=海禁)します。

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なぜ海禁をしたのでしょうか?

理由は国の貿易である朝貢貿易を独占して行うためです。

 

アンバー
朝貢貿易というのは何なのか?

と思ったかもしれません。

 

朝貢貿易というのは周辺諸国が貢物を持ってきて、中国は貢物の返礼品を渡すという形の貿易です。

簡単に言うと、貿易をするときに

中国>周辺諸国

という上下関係がありました。

 

どんな国と朝貢貿易をしていたのかというと

  • 朝鮮
  • 日本
  • 琉球
  • マラッカ王国
  • 黎朝(ベトナム)

などです。

里甲制と六諭

さらに、里甲制と六諭で末端の農民まで統治しました。

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アンバー
里甲制や六諭って何のこと?

と思ったかもしれません。

 

簡単に説明すると、里甲制は110家族で一つのグループとして税を集めさせたり、治安維持をする仕組みです。

 

一方、六諭は儒教を分かりやすくした6つのスローガンで農民を統治する仕組みです。

 

例えば、目上の人は敬おう、父母を大事にしようという感じですね。

 

六諭をみんなで唱えさせて、国に反抗しないようにしたのです。教育と洗脳は紙一重なものですね。

最盛期 永楽帝

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明の最盛期は永楽帝の治世です。

ちなみに、永楽帝が即位するまでには一波乱ありました。どんな波乱だったのでしょうか?

 

波乱というのは、燕王(後の永楽帝)が、皇帝に対してクーデターを起こしたこと靖難の役)です。

靖難の役(せいなんのえき)では2代目皇帝、建文帝を倒すために燕王は挙兵します。結果、クーデターは成功し、燕王は永楽帝として即位しました。

 

永楽帝は

  • 南京から北京に遷都
  • 皇帝の居城、紫禁城を造営
  • 内閣大学士の設置
  • 5回にわたるモンゴル遠征
  • 鄭和の大航海を命じる

などを行います。

それでは、内閣大学士と鄭和の大航海について詳しく見ていきましょう。

 

内閣大学士というのは、皇帝の補佐役です。以前の中書省に代わって、皇帝の命令を出すのを手伝いました。

 

鄭和の大航海は、イスラーム教徒で宦官の鄭和(ていわ)に南海遠征を命じたことです。

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なぜ、永楽帝は南海遠征を命じたのでしょう?

 

答えは南海諸国(東南アジアやインド、アフリカのマリンディなど)に朝貢貿易を促すためです。明の偉大さをアピールするために、

  • 数十隻の船
  • 数万人の乗組員

から成る大艦隊で、5回も遠征しました。

 

簡単に言うと、

f:id:ruriageha:20210227074512j:plain「俺たちの国は強いぞ!だから早く貢ぎ物を持ってきた方が良いぞ!」

とアピールしたということですね。

明のピンチ 北虜南倭

永楽帝の死後、明はあるピンチに悩まされていました。

どんなピンチなのでしょうか?

 

もちろん北虜南倭ですね。

北虜南倭というのは北からはモンゴル系民族が攻めてきて、南では倭寇という海賊が密貿易や略奪をするという状態です。

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北のピンチ モンゴル系民族の侵入

まずは、北でのモンゴル系民族の侵入から見ていきましょう。

モンゴル系の民族にはオイラトタタールという民族がいました。

二つの民族のうち、オイラトが明の皇帝、正統帝を捕虜にする事件土木の変)が起きます。

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ちなみに、~の役とか~の変、~の乱とかややこしいですが、ちゃんと違いがあります。

 

変は戦いを仕掛けた側が勝った時で、役は戦いという意味で、乱は戦いを仕掛けた側が負けた時に使われます。なので、オイラトが戦いを仕掛けて皇帝を捕虜にした(=勝った)ので、

土木の”変”です。

 

結局正統帝は帰って来られたのですが、北方の防御を固める必要がありました。そのために、明は万里の長城を改修していきます。

 南のピンチ 倭寇

南の沿岸では倭寇が密貿易や略奪を繰り返していました。

明では民間貿易は禁止されていましたよね。

なので、”密貿易”です。

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密貿易をした例として、種子島の鉄砲伝来が挙げられます。鉄砲を日本に伝えたのはポルトガル人ですよね。しかし、そのポルトガル人は中国(明)の民間船に乗っていたのです。

 

密貿易をしていた倭寇はついに南京まで、迫ってきました

明は倭寇を何とかするために、海禁を緩和します

明の滅亡

14代皇帝の万歴帝の時代になると明はどんどん衰退します。

衰退した要因の一つは、万歴帝は政治を全然しなかったことです。

 

最初のころには張居正(ちょうきょせい)とともに一条鞭法(いちじょうべんぽう)という税制を実施します。

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一条鞭法というのは、税を銀で治めさせるようにした税制です。貿易で銀が広く流通するようになったので、行われました。

 

一条鞭法についてもっと詳しく知りたい人は(世界史)違いが説明できる 一条鞭法と地丁銀制(中国史) がおすすめです。

 

万歴帝が政治をしなくなって、多くの危機が訪れました。例えば、

  • たび重なる戦争で財政難になる
  • 官僚と宦官の対立
  • 民衆への重税
  • 飢饉

です。

 

こうした危機で、多くの反乱が起きました。

特に大規模なのが、李自成の乱です。乱の中心となった李自成はついに北京を占領します。そして、明は滅亡しました

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は世界史で勉強する中国の王朝、明について解説しました。

 

内容をまとめると

  • 明は朱元璋が建国した
  • 洪武帝として即位した朱元璋は管理的な統治をする
  • 最盛期は3代目皇帝の永楽帝
  • 北虜南倭は北から異民族、南から倭寇
  • 万歴帝は張居正とともに一条鞭法を実施
  • 最終的に李自成の乱がきっかけで明は滅亡

という感じです。

 

今回の内容をしっかり押さえて、テストで高得点を取り、自由で独立した未来を掴んでくださいね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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