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世界史の元王朝(モンゴル帝国)をわかりやすく【高校生が解説】




モンゴル アイキャッチ

皆さんこんにちはルリアゲハです。世界史を勉強していると出てくる元(モンゴル帝国)。

 

あなたは元王朝(モンゴル帝国)がどんな流れだったか思い出せますか?

 

もしかすると

ジェード
習ったことは覚えているけど、どんな流れだったか忘れた

という人もいるかもしれません。

そんなあなたも大丈夫です。

 

この記事を読めば

  • 元王朝の特徴
  • チンギス=ハンと彼の子孫たちについて
  • 拡大するモンゴル帝国
  • なぜ元とモンゴル帝国という2つの呼び方があるのか
  • 元が滅亡した理由

について理解できます。

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元(モンゴル帝国)とは

の次の王朝で、モンゴル帝国とも呼ばれます。

なので、元は漢民族の王朝ではなく遊牧民の王朝です。

 

遊牧民というと

  • 草原で生活
  • 羊や馬などを放牧

というイメージがありますよね。

実際に遊牧民は放牧地に草がなくなったら、新しい放牧地を求めて移動します。

定住していないので、一般的な国のイメージとは異なりますよ。

なので、漢民族の王朝とは全く毛色が違うと押さえておいてください。

 

他の特徴は

  • チンギス=ハンが建国
  • 中央アジアやロシア、小アジアまで広がる大帝国
  • 強い軍隊
  • 実力主義
  • 漢民族の風習(科挙など)はほとんど行われない
  • 活発な東西交易

です。

 

色々と説明しましたが、ここでは実力主義について詳しく見ていきましょう。

 

モンゴルでは民族の序列がありましたが、実力のある人は民族関係なく積極的に登用されました。

民族の序列も大事な部分なので確認しましょう。

モンゴル帝国にはモンゴル人の他に

  • 色目人(しきもくじん)⇒中央アジアや西アジア系(イスラーム)財政担当
  • 漢人⇒金の諸民族
  • 南人⇒南宋の漢民族

がいました。

少しややこしいですが、漢人=漢民族ではありません。漢人は金王朝の人々のことです。

図で諸民族の序列を表すとこんな風になります。

モンゴルの諸民族

なぜ元とモンゴル帝国という2つの呼び方があるのか

元とモンゴル帝国の違いは、

元=フビライが付けた中国風の王朝名

モンゴル帝国=モンゴル人が作った中国からロシアや中央アジアまで広がる国(ウルス)

です。

チンギス=ハンと子孫たち

モンゴル帝国はチンギス=ハンから始まり、彼の子どもや孫がどんどん国を広げました。

この中で押さえておきたい人は

チンギス=ハン オゴタイ バトゥ フラグ フビライ

です。

では、それぞれの人物について見ていきましょう。

初代君主 チンギス=ハン

モンゴル帝国の初代君主はチンギス=ハンです。

チンギス=ハンというのは中国読みでジンギスカンで、鍋料理の名前にもなっていますね。

絶対に聞いたことはあると思います。

 

そんなチンギス=ハンは元々はテムジンという名前でした。

なぜ、テムジンはチンギス=ハンになったのでしょうか?

 

それは、クリルタイというモンゴル人の集会で、ハンの称号を得たからです。

ハンというのは君主という意味ですよ。

 

そうして、テムジンはモンゴルの君主、チンギス=ハンになりました。

 

チンギス=ハンは主に行ったのは

  • 軍事・行政組織を整備
  • 大遠征

です。

超効率的な軍事・行政組織 千戸制

まずチンギス=ハンは千戸制という軍事・行政組織を作りました。

千戸制というのは君主の命令を効率よく大人数に伝達する仕組みです。

1000戸(1000の家族)で一つのグループを作らせました

。千戸制のおかげでモンゴル軍は強くなったと言えます。

アンバー
千戸制が何かは分かったけどイメージがしづらいなあ…

と思った人も多いでしょう。

なので、どんなに効率的だったか具体的に解説しましょう。

 

例えば、チンギス=ハンがこれから中央アジアに遠征しようと考えたとします。

そのプランを千戸制のまとめ役の95人の部下に

これから中央アジアに遠征するぞ!

と伝えました

。そうすると、千戸制という仕組みで、約10万人の人々にチンギス=ハンの命令が伝わります。

図で表すとこんな感じですね。

千戸制

なので、チンギス=ハンがたった95人に命令を伝えるだけで10万人に命令が行き届くのです。

今の時代なら、人気アーティストが新曲を発表したら、ネットで告知しますよね。

そうすれば簡単に10万人に伝わります。でも、もちろん元(モンゴル帝国)の時代にはネットなんてありません。

そう考えると千戸制って超効率的な方法ですね。

チンギス=ハンの遠征

それでは、チンギス=ハンの行った遠征について見ていきましょう。チンギス=ハンの遠征は

中央アジアのナイマン⇒イランのホラズム・シャー朝西夏

の順番で行われました。

地図で見るとこんな感じです。

何か気づいた点はありませんか?

ちょっと地理的に考えて不自然な進路と思ったかもしれません。

だって普通だったら近くにある西夏から攻めますよね。

 

そうです、中央アジアから押さえているのです。中央アジアといえばイスラーム商人で有名ですよね。

なので、交易路を先に押さえて、商業を活発化させました。

実際に元(モンゴル帝国)の時代には

  • プラノ・カルピニ(教皇の使節)
  • ルブルック(フランスの使節)
  • モンテ・コルヴィノ(初めて中国にカトリックを布教)
  • マルコ=ポーロ(東方見聞録を書く)
  • イブン・バットゥータ(イスラームの旅行家)

など、西から多くの人が訪れましたよ。

オゴタイの時代とバトゥの遠征

二代目の君主はオゴタイです。

オゴタイはという北方民族の王朝を征服しました。

ちなみに、金というのは宋(北宋)が南に逃げるきっかけを作った王朝ですね。

金を征服した翌年、都をカラコルムに定めました。

 

そして、オゴタイは甥のフラグをヨーロッパに遠征させました。

フラグというのはキエフ公国を滅ぼしてキプチャク=ハン国を建国した人物ですね。

キエフ公国はロシアの起源の起源となった国で、スラブ人が建国しました。

 

実は、フラグの遠征は残忍だったという記録もありますよ。

代表的なものはワール・シュタットの戦いです。

どんな戦いかというと、モンゴル軍がポーランド・ドイツ軍を撃破した戦いですね。どこが残忍だったのかと思ったかもしれません。

実はワール・シュタットというのは「死体の山」という意味なんです。

モンゴル人のあまりの残酷な戦い方から付いた名前と言われていますよ。

イル=ハン国を建国 フラグの遠征

バトゥの遠征から10年以上経って、フラグが西アジアへ遠征します。

ちなみに、フラグはバトゥのいとこですね。

 

西アジアに着いたフラグはまず、アッバース朝を滅ぼしました。

アッバース朝というのはイスラーム史で出てくる、ウマイヤ朝を滅ぼしてできたイスラーム王朝ですね。

 

アッバース朝を滅ぼした後、フラグはイル=ハン国を建国します。イル=ハン国は後に国教をイスラーム教にしましたよ。

理由はイル=ハン国にはムスリムが多かったからです。

元が成立 フビライの時代

元という王朝を成立させたのは5代目君主のフビライです。

あなたは日本史でフビライ=ハンという人物のことを習ったかもしれません。

しかし、高校の世界史では「フビライ」です。

 

さっきも言ったように、フビライは中国風の王朝、を成立させました

。内政的に一番大きな功績は、大都という都を作って遷都したことですよ。

大都というのは今の北京のことです。

 

外征面では

  • チベット(中国の東)や高麗(朝鮮半島)を属国にする
  • 日本、ベトナム、ビルマへ遠征

をしました。

日本の鎌倉時代にはフビライが侵攻してくる元寇がありましたよね。

2回ありましたが、どちらも失敗しています。

 

さらには、ベトナムやビルマ(現在のミャンマー)にも遠征しました。

 

結果は

ベトナム(陳朝)遠征⇒失敗

ビルマ遠征⇒成功(当時のパガン朝は滅亡)

ですよ。

元(モンゴル帝国)の広大な領域

元(モンゴル帝国)は4つの国が緩やかに繋がった国でした。

地図で見るとこんな感じですよ。

 

それぞれキプチャク=ハン国、イル=ハン国、チャガタイ=ハン国 、元です

 

。中でも、キプチャク=ハン国とイル=ハン国の建国者は覚えておきたいです。それぞれの建国者は

イル=ハン国⇒フラグ

キプチャク=ハン国⇒バトゥ

ですよ。

元の滅亡

元が滅亡した理由は何なのでしょうか?実は元は紙幣を刷りすぎて滅亡したのです

(他にもユーラシア大陸各地で起こった天災やチャガタイ=ハン国やキプチャック=ハン国の分裂もありますが)

たくさんの紙幣

しかし、これだけでは

アンバー
紙幣を刷りすぎて滅亡ってどういうことか

と思いますよね。

滅亡までの、詳しい流れを見てみましょう。

 

元の末期、権力者たちはチベット仏教を妄信していました。

チベット仏教というのは、仏教が中国の東にあるチベットに伝わって生まれた仏教です。

 

仏教はインドのバラモン教に反発して生まれましたよね。仏教ができた古代インドってどんなのだったっけ?という人には

(忙しい人も簡単)世界史古代インドの覚え方

という記事がおすすめです。

 

元の滅亡に話を戻すと、チベット仏教は儀式や寺院の建設にすごく金のかかる宗教でした。

権力者たちが熱心に信仰すると、国の財政はピンチになりますよね

自由を失って絶望する人

「どうしよう…このままでは国のお金が無くなってしまう!」

と思った元王朝は交鈔(こうしょう)という紙幣を刷りまくりました。

きっとお金がないのなら刷ればいいと考えたのでしょう。

 

でも、ちょっと経済を勉強したことのある人なら察しがつくでしょうが、余計に首を絞めることになりました。

いったいどんなことが起こったのでしょうか?

それは、貨幣価値が大幅に下がったことによるインフレです。

 

つまり、100円で買えた物がお金の価値が下がったので、100円では買えなくなったと言うことですよ。

なので、人々にとって大幅な値上げになりました。

そして、人々は大幅なインフレのせいで食料が買えなくなったのです。

 

今まで支配されていた漢民族たちは

お前たちの政治が下手なせいで、俺たちの生活は苦しくなったんだ!

と怒って各地で反乱を起こしました。代表的な乱は朱元璋の起こした紅巾の乱ですね。朱元璋は元の次の王朝、の建国者ですよ。明について詳しく学びたい人には

(完全版)世界史の明が5分で分かる(誰でも簡単)

がおすすめです。

 

そうして、元は北のモンゴル高原に逃げて(北元)、元の時代は終わりました。

まとめ

いかかでしたでしょうか?

今回は高校世界史の元(モンゴル帝国)について解説しました。

 

内容を簡単にまとめると

  • 元(モンゴル帝国)は宋の次にできたモンゴル人の国
  • モンゴル人=遊牧民
  • チンギス=ハンが建国して、彼の子孫がさらにモンゴル帝国を発展させた
  • チンギス=ハンは交易路を押さえるために遠征して、千戸制で効率よく軍をまとめた
  • オゴタイは金を征服して、カラコルムという都を造営
  • バトゥはヨーロッパ、フラグは西アジアに遠征
  • フビライが元を作る
  • 滅亡の理由は交鈔の濫発⇒インフレ⇒反乱

です。

今回の内容を押さえて世界史の成績を上げてくださいね。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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